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2015.05.29 Friday

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2012.04.10 Tuesday

ボゴタでの毎日

4月26日 
今日は語学訓練の最終日。午前中は今までの内容の復習試験。内容が進むにつれ、スペイン語の動詞の変化の多さと難解な文法用語に四苦八苦。加えて高速のスペイン語に耳が慣れず、また口からスペイン語がなかなか出てこない。それでも同級のゆかりちゃんは随分上達し、結構喋るようになっている。年齢の壁は高い。それでもなんとか筆記試験は済ませ、リスニングも感が冴えた。昼からは解説と卒業祝いの食事会に参加。明朝一番の飛行機でようやくマニサレスに行くことになった。考えたら、応募してからほぼ1年がたっている。
ボゴタ語学学校
我々のクラス担当のダニエルと記念撮影

4月22日
休みなので植物園に行くことにした。タクシーで15分、400円位のところにあり、近くには運動公園などがあり、バレーボールの試合を楽しむ若者が道から見える。60歳以上は無料とのことで、ちょっと得した気分。年をとるのもまんざら悪いことばかりではない。日本の植物園に比べ植物の育ちがよく、野鳥も多い。案内板が見当たらず、地図も置いていなくて困っていたら、
女学生が立っていて、行く方向を指示してくれる。ぶらぶら歩いていくと、同じような若者が温室の入り口や薬草園に立っていて、見学者に挨拶する。聞いてみたら、高校生(?)が奉仕活動で日曜日に案内をしているとのこと。挨拶もきちんとするし、聞いたことには僕らにわかるようにゆっくりと喋ってくれ、随分助かった。初めてみるような樹木や美しい野鳥もいて、楽しい散策だった。点検せずに持ってきたカメラの電池が切れていて、写真を載せられないのが残念。

4月20日 遠足
17日の火曜日に語学学校の日本人クラス(JICA関係の5人と先生3人)で空港横にある飛行機博物館に遠足に行った。係員のスペイン語の説明を理解することと、スペイン語での質問の練習が大事な課題になっている。5人の生徒は初めての軍関係の施設に入って、少し緊張気味だったが、教室の授業から解放されて結構楽しかった。コロンビアでは徴兵制がひかれていて、徴兵された若者は軍隊と警官に振り分けられるらしい。日曜日に繁華街やトランスミレニオの駅で、警備や案内にあたっている警官はどうも徴兵されてきた若者のようだ。日本の高校生ぐらいに見えるが、道を尋ねたら、親切でていねいに教えてくれる。携帯でぺちゃぺちゃ喋っているともあるが、りりしく可愛らしい。この空軍施設で学んでいる生徒は試験を受けて入学してきた生徒で、かなり優秀な生徒である。この国の徴兵制には抜け道があって、お金持ちの家の子息は軍隊に入らないことが多いらしい。多分お金を払うことで徴兵が免除されるらしい。コロンビアでのお金持ちの生活と貧しい人の生活では、全く異なる。貧しい家庭に生まれると、大学に行って学ぶのもかなり厳しく、良い仕事につくのも難しい。お金持ちは自分の子どもに高等教育を受けさせるのに熱心で、大学卒の経歴をもっていると銀行員、公務員などの良い仕事にありつくことができる。そんなゆがみも、なかなか治安が良くならず、過剰な警備に多額なお金をかけなければいけない一因になっている。
飛行博物館
係の人の丁寧な説明に聞き入る熱心な?生徒と先生
飛行機博物館で
空軍学校の生徒、人なつこくて可愛らしい

4月15日 モンセラーテの丘 
ボゴタの東側にあるモンセラーテの丘に連れて行ってもらうことになった。丘と言っても標高は3000mを超え、富士山の5合目ぐらいにあたるらしい。トランスミレニオの終点から、歩いて10分ぐらいのところにある駅から、ケーブルカーとロープウェイがでており、同じキップでどちらにも乗れるので、行きはケーブルで帰りはロープウェイで行くことにする。頂上には教会があり、ちょうどミサの最中であった。ミサが終わると同時に、手拍子とかけ声で大きな合唱が始まる。神父が大きな声で、歌を歌い、なかなか楽しそうである。教会のある広場から巨大なボゴタの巨大な都市を見下ろすことができる。こんな高い所にこの巨大な都市を築いたエネルギーに感心する。
モンセラーテの丘に向かう
丘の上の教会を目指して上ってくる人々

モンセラーテの丘からボゴタ
丘から見下ろしたボゴタ市 曇っていて、見晴らしが悪い

4月14日 日本料理とトントコ相撲
今日は土曜日で、カルタヘナ派遣の同期のゆかりちゃんのホームステイ先で、日本料理を作ってのパーティーをすることになった。メニューは肉ジャガ、焼き鳥、ほうれん草のおひたし、かぶらの酢の物それにだし巻きたまご。家主は歯医者さんのマダムクリスティーナで、長年JICAの隊員の受け入れをされ、日本のよき理解者である。総出で料理を作り、食事の後トントコ相撲で楽しんだ。医者の息子さんは大の日本びいきで少し日本語を話す。久しぶりの日本食と優しい家族と団欒の楽しい一晩になった。
料理
久しぶりの日本料理をみんなで調理する
日本料理
久しぶりの日本料理を楽しむ 
トントコ相撲
食後トントコ相撲で遊ぶ


4月13日 ボゴタのバス 語学学校は歩いて3、4キロあって普段は、車に気を使いながら40分程歩くが、4月に入り雨期になったのか雨が降ることが多く、そういうときはバスを利用する。バスのフロントガラスに書いてある表示を読んで、バスを捕まえるが、細かい所はわからないので、とにかく11か15の番号を持つバスが来たら、人差し指をあげて合図する。バス停はあるが、バス停でなくても合図があれば、バスは停まってくれる。前乗りで後ろ降りだが、客が乗ったらすぐ発車するので、乗ったら振り落とされないように、なにかにしがみついて乗車賃
1回1450ペソ(70円)を払う。たいがいワンマンで運転手は運転しながら、運賃を受け取り、それを数えてやはり運転しながらおつりをわたす。回数券も定期もなく、運転手は渋滞の中、運転と乗車賃の受け取りとおつりを同時にこなす。まさに神業。たいがい座れるくらいのすき具合だが、後部座席では睡眠薬をつかったスリにあうこともあるので、前の座席が安全らしい。目的地に近づいたら、後ろのドア近くにあるベルをならすが、おりる場所は道の込み具合では道の真ん中になることもあり、おりるのも命がけである。時には、バスの中に詩人や歌手が乗ってきて、即席のパフォーマンスをして、お金を受け取っていく。何回も乗るとこの無秩序で危険なバスにも慣れ、今日は何が起こるのかつい期待してしまう。
バス
オンセ通りを走るバス 朝10時 道の真ん中で客が降りた
(マリコ)
 バスは本数もルートも様々、乗り降りも自由となると、恐がりの私はなかなか乗るのに決断がつきません。日本のバスや電車の丁寧な案内が懐かしい。でも、歩くのも命がけです。交通量が多い上に信号はあってないが如し。道路を渡る時は、躊躇わず、止まらず、大急ぎで、と思うとバイクが突っ込んできたりと非常に危険です。
 私の語学学校1週間目が今日終わりました。コロンビア人のピラール先生にマンツーマンで教わってます。英語でスペイン語の授業をうけるという刺激的な日々です。朝は予習、学校でみっちり4時間、帰ってから寝るまで復習と、大学生に戻ったようなスペイン語づけの毎日です。しかし、寄る年波には勝てず、なかなか道のりは遠いです。

4月12日 ここボゴタで暮らして3週間になり、町を歩くのも随分慣れてきた。食べ物とバスやタクシー代は概ね日本に比べてかなり安いが、紙製品、郵便代はかなり高いし、不便だ。ハガキを送ろうと思っても、まず郵便局が見つからないので仕方なく美術館の絵はがきを買うと、一枚が200円する。日本に送るために、ポストを探しても見つからず、742という番号をもつ店が郵便物を取り扱うと聞き、2日間さんざん探しまわって1軒見つけ、出そうとしたら身分証明書を見せるように言われた。書類好きなコロンビアの例にもれず、絵はがきを送るのにも大げさな書類を書かねばならない。そして、送料がハガキ1枚で400円近くする。こんなにハガキの送料が高い国はしらない。コロンビアの人たちはインターネットが普及する前はどうしていたんだろうか?今日夕方、お肉の専門店で、焼豚を買った。まず入り口で順番を書いた紙を渡され、番号が呼ばれるのを気長に待つ。番号が呼ばれたら、注文をし、注文の内容の肉を皿に取り分けてもらい、それを値段係の所に持っていき、値段をつけてもらう。すると値段係が値段を書いた紙を渡してくれ、それを会計に持っていき、支払いをする。支払ったらレシートをくれるので、それを元の値段係のところにもっていくと。ようやく包みが手に入る。全ての店がこんなに手間がかかるわけではないが、ちょっといらっとする。日本の高速レジが懐かしい。

2012.04.08 Sunday

ボテロ美術館

4月8日 セントラルで
日曜日もセントラルで時間をつぶすことにした。コロンビアの治安の悪さは、貧富の差が極端に大きいことにある。金持ちの多くはは白人で、富や土地の大部分を占有し、先住民やアフロコロンビアやその混血の人々の多くは貧しい生活を余儀なくされている。また、長年の内戦で故郷から逃げ出してきた難民が数百人もいて、その多くがボゴタに住んでいるらしい。もともと貧しい人々には良い仕事を見つけるのは難しい上に、知らない土地で逃げ込んだので、生活するための収入を得るのは困難である。残念ながら恵まれた資源の恩恵を、貧しいものの救済に、ということにはならないらしい。難民の中には、犯罪に走る者もいるが、町のあちこちで、工夫を凝らしてなんとか食い扶持を稼ぐたくましい人もいる。交差点では赤から青にかわるまでの短い時間に、車の前でパフォーマンスをしたり、花を売ったりして、運転手相手の商売に励む人を多く見かけた。セントラルの通りで見かけて感心したのは、全身に緑色の絵の具を塗り、蛇や木の葉の衣装につけた森男とブリキで作った巧妙なロボットの衣装を着けたロボット男。二人とも全然動かなかったので、人形かと思っていたら、その前に置いた箱の中に小銭を入れると、踊りだし最後は握手をしてくれる。踊りも面白かったし、へんてこりんな機械音の演奏や工夫した衣装にも感心した。その近くで日本の琴に似た楽器を延々と演奏し続ける2人組も、聞いていて飽きなかった。

ロボット
ひと踊りした後に握手

楽団
琴をひいているのは15歳くらいの少年で淡々と演奏し続ける

4月7日 ボテロ美術館
セマナサンタは昨日で終わり、でも今日は土曜日ということでほとんどの店は閉まっている。2,3日雨が降らなかったのに、昨晩から雨が降って、少し肌寒い。嫁さんと二人で昼飯を食いに外出したところ、オンセ通りに一軒だけあいているレストランを見つけ、入ってみると”KYOTO"という日本料理店だった。すしも食べられるが、値段もはるので、焼きそばとみそ汁を1杯だけ頼む。焼きそばはともかく(60点)、みそ汁は豆腐も入ってうまかった(満点)。"KYOTO"の店の壁にはずらりと日本の食材が並び、値段の高さに驚く。サッポロ一番が一袋300円、キューピーマヨネーズが2000円もする。ボゴタ市内では、なかなか日本の商品に出くわさない。品質と味は抜群だけど、値段が高すぎて、購入できる人が限られている。豆腐、味噌、マヨネーズなどをこちらで作るようにすれば、結構売れるかもしれないんだけど。こちらに来て、2週間経ち、舌はコロンビア料理に慣らされて、諦めムードになっている。キューピーマヨネーズ
日本の5〜7倍はする食材がうらめしい
昼食後、嫁さんはかなりのコロンビア美人のアナの家庭教師でスペイン語を勉強するので、一人でセントラル(旧市街)にあるボテロ美術館に行くことにする。セントラルは美術館、博物館、映画館、広場、商店がぎっしり立ち並び、大阪で言えば心斎橋と天王寺、新世界が一緒になったようなところだけど、JICAからは決して日が暮れてからは立ち寄らないように言われている場所である。カジェ19当たりからいたずら書きされた建物が増え、トランスミレニオのヒメネス駅で降りて、ボリバール広場を目指す。さんざん脅されていたけど、人通りが多く、この時間なら大丈夫と安心した。シモンボリバール広場には観光客やお土産の売り子がにぎやかに集まっているが、ゴミだらけだ。でも警官も数十人はいて、一安心。地図を見ながら、ボテロ美術館に到着する。ここはフェルナンド・ボテロが自分の作品60点と自分が収集したピカソなどの作品を寄付した美術館である。入場料はタダ、美術館内はフラッシュさえ炊かなければ、写真撮影可の
入りやすい美術館である。余り混んでもいず、ゆったり2時間ほど過ごした。日本に来る前に読んだエベリオ・ロセーロの小説”顔のない軍隊”の表紙に使われていた作品やボテロの”モナリザ”を見つけ、嬉しかった。
顔のない軍隊
”顔のない軍隊”の表紙に使われたコロンビアの長期内戦を描いた作品
モナリザ
ボテロのモナリザ

シモンボリバル広場
ボリバール広場 観光客、土産売り、警官で一杯

















2012.03.24 Saturday

ボゴタでの研修


4月5日 セマナサンタとシバキラ旅行
今週は復活祭の前の聖週間ということで、学校も企業も大型連休に入った。そこでこの休みを利用して、同期の隊員と一緒に、ボゴタから40kmほど北にあるシバキラという観光地まで日帰り旅行をした。ボゴタ市内の北にあるターミナルから、いつもどおりのあやふやなスペイン語でを使って、シバキラ行きのバスを見つけて乗り込み、いつもどおりに親切な車掌に目的の町で下ろしてもらって、シバキラに到着する。シバキラは近くの山の中に大きな岩塩採掘洞窟があり、その洞窟後に立てられた教会が塩の教会と呼ばれ、カトリック信者が多いコロンビアでは人気の観光地である。シバキラ市内をうろうろ教会を探していたら、またまたいつもどおり親切で美人のガイドさんが現れ、我々を洞窟の入り口まで案内してくれる。我々のような日本人の観光客は、随分目立つようで、町を歩いていてもちらっと見られることが多いが、概ね好意的である。
今日は”日本人か?なら一緒に写真を撮ってくれ。”ということが4回もあった。最初のガイダンスで日本人には好意的であるという話をされたが、半信半疑であったのに・・・。こんなことは他の国でもあまり起こったことがない。最初にカリに入植した日本人の評判が非常によかったという話はよく聞くが、本当のところはよくわからない。これからの2年間でその辺りの事情がわかればいいのだけど。

塩の協会の入り口で
洞窟の入り口で、日本大好きな高校生とその弟と記念撮影

シバキラの岩塩洞窟は来る前は、小さく質素な塩で出来た教会を予想していたが、実際は見て回るだけでも数時間を要する巨大なものだった。照明が毒々しすぎるのがちょっと気になるが、真っ暗な洞窟探検や岩塩採掘の歴史を紹介する映画を洞窟内の映画館で見たりするので、一日いても退屈しない。

塩野
洞窟内の教会で

3月31日 国立博物館
国立博物館
旧刑務所を利用した国立博物館


フェルナンドボテロ
フェロナンド ボテロの絵の前で
お昼の定食
お昼に食べた定食 肉が目立つけど美味しいのは奥のスープ これで5000ペソ(250円)

土曜日で、語学学校の授業もないので、嫁さんと二人で、市内南部の旧市街にある国立博物館に
行った。トランスミレニオのバスを利用したが、バスによって止まる駅が異なり、乗り込んだバスは目的駅のCalle26をひとつ乗り越してしまった。国立博物館のある地域は人通りも多いのに、そこから数百メートル離れたCalle22になると、降りて歩いて戻るのは少しためらわれるような地域になってしまう。仕方なく、逆方向のバスに乗って、Calle26に戻る。慣れないスペイン語で道を聞きながら、旧刑務所の建物を利用して作られた国立博物館を到着する。コロンビア内で発見された先住民の遺跡やコロンビアの歴史、芸術などの展示が旧刑務所を利用して作られた博物館で展示されている。3階でなじみのあるフェルナンドボテロの作品を見つけた。博物館を出た後、トランスミレニオに乗って町を北上し、語学学校近くのレストランで食事をする。帰りにいつものマーケットで夕食の水炊きの材料を買って帰る。
(マリコ)
 国立博物館に入って改めてコロンビアの歴史の古さを感じました。それと、建物周辺の樹木はどれも10mを超えていました。特に、ヤシの仲間は20mを超えているでしょうか?さすが、赤道近くだと感動しますが、名前を知りたい気持ちがムクムクと湧いてきます。博物館の庭に目をやると、日本と同じクンシラン、アガパンサスが地植えで見事に咲いています。地球の裏側で同じ花が好まれて栽培されていると、不思議な気持ちがしました。
 トランスミレニオに乗ると、コロンビアの人とひとくくりにできない程様々な顔に出会います。古い歴史の中で様々な人種の融合がおこってきたのでしょう。毎日新しい発見があります。

3月25日 トランスミレニオとシモンボリバール公園
トランスミレニアム市内の幹線道路と駅
日曜日に市内探索と交通機関の利用練習のために、高速バス(トランスミレニオ)を利用して、市の中央部にシモンボリバル公園に嫁さんと隊員のゆかりちゃんと3人で行く。トランスミレニオは1回90円程(その他のバスは1回70円)で乗れ、路線がはっきりしていることと、専用レーンを60キロ程のスピードで走るので早い。宿泊所から地図を見ながら15分程で駅に着き、キップを買って乗車。市内は安全度からグリーンゾーン、イエローゾーン、レッドゾーンに
分けられている。乗車したのは比較的安全なグリーンゾーンで、ご覧のようにとても発展途上国とは思えない。でも10分も走り、イエローゾーンの市街に入ると、風景が一変してペインテイングした建物が増える。我々は、シモンボリバル駅で降り、公園に向かった。公園への近道を歩いていると、車が前方に停車し、我々が追いつくのを待っていた。緊張して通り過ぎようとすると、中から運転手が話しかけてきて、英語で(そのまま行かない方が良い。コースを変えて広い道を行きなさい。)と言って立ち去った。僕ら日本人は随分危なっかく見えるようだ。わざわざ待ってくれて、アドバイスしてくれ感謝する。道を戻り、公園横の網戸が開いているところを見つけ、公園内に入った。公園内はのんびり散歩する家族やジョギングをする人がいて、平和そうである。
シモンボリバル公園にて
シモンボリバル公園
ハチドリハチドリ
公園内の遊歩道を歩いていたとき、花壇の前で写真をとろうとして、近づいたとき花の周りを飛び回るハチドリを発見。ぜひ見たかった鳥だったので、あわててカメラでシャッターをきる。動きが速すぎて、とれたかどうか不安だったけど、ハチドリらしきものが写っていて、大満足である。
(マリコ)
時差ぼけからやや回復しました。ボゴダは近代的、かつ発展途上の入り交じった大都市です。自動車が多いのにも関わらず信号がないため、道がなかなか渡れません。その上、治安の悪さから周囲に常に気配りをせねばならず、ぼんやり者の私は随分疲れます。
 今はスペイン語は全く聞き取れません。テキストを日本でなん度も勉強しただけでは太刀打ちできませんが、28日から語学学校が始まるので期待でワクワクしています。早くスペイン語をマスターし、コロンビアの人と友人となり、その文化を知りたいものです。:
 道を歩くと大きな樹木とともに赤,黄、ブルーの様々な花が咲いています。ハトの仲間など数種類の野鳥を観察しました。ハチドリのコバルトブルーには感動しました。コロンビアは世界で一、二を争う生物の宝庫です。これから、どんな動植物に巡り会えるか楽しみです。また、コロンビアは図書館の充実に力を入れているとのことで、慣れたらぜひ図書館に行ってみたいし、本屋さんもたくさんあるらしいので図鑑を手に入れたいものです。やりたいこと一杯です。

3月24日 料理と野菜
楽しみのひとつは、料理や食べ物を通じてコロンビアの食文化を体験すること。

エンパナダ
エンパナダ
歓迎会で行ったレストランで食べたコロンビア風の餃子 おいしいんだけど甘いタレがもう一つ。ポン酢でもあればもっと美味しく感じるのに。


アヒアコ
アヒアコ (ジャガイモのスープ)
最初に行ったレストランで別の隊員が食べていたもの。僕は定食を食べたけど、写真を撮り忘れた。見た目も味もなかなからしい。

野菜売り場
近くのマーケットの野菜・果物売り場
コロンビアの広い国土と、様々な気象条件のもとで育てられた多様な果物・野菜が売られている。見ているだけで楽しいが、野菜の品質は今ひとつ。キャベツや葉野菜の葉は固くて、生では食べれそうにない。リンゴも甘みにかけるし、イチゴももう一つ。でもマンゴーや初めて食べた熱帯果実(名前は忘れた)はなかなかの味だった。

3月22日
 ようやくボゴタに着いた。朝6時に家を出て、伊丹から成田へ。成田を3時45分に出て、ヒューストンに翌朝2時(現地時間で昼の1時頃)に到着。ヒューストンを現地時間の3時45分頃出発し、ボゴタに9時頃到着した。空港には現地のJICAのスタッフが迎えにきてくれ、とりあえずJICA事務所近くのホテルで一泊。ボゴタの町は思った以上に巨大で、広い道路を車がかなりのスピードで走っている。ボゴタの人口は900万人もあり、東京にほぼ匹敵する。コロンビアの総人口5000万人のほぼ5分の一近くの人が住んでいる。時差の影響かなかなか眠れず、次の日のガイダンスは眠くて、ぼんやりする。JICAの所長によれば、コロンビアは資源にも恵まれ、ここ数年の成長は著しいものがあるらしい。確かにボゴタの中心にいるとこの国が発展途上国という印象はうすい。ただ、貧富の差は大きく、エストラートという6段階の社会区分で、貧しい人たちへの公共料金援助、学校の授業料補助などの制度はあるものの、金持ちがこの国の富を占有しているため、不満を多くもつ人も多く、テロや犯罪が多い。建物の入り口では、厳しいチエックがあり、ガードマンや警官の姿が目立つ。通りは広いが手入れが行き届かず、信号が少ないので、歩行者は命がけだ。ボゴタで起こった犯罪の再現や実際の犯罪のビデオを見せられた時には、緊張した。ガイダンス終了後仲間とともに、研修所に移動する際も、狙われていないかとつい周りを見渡してしまう。実際は、いきかうコロンビア人は道を譲ったり、ドアを支えてくれたり、親切な人が多い。1年前からここで活動しているメンバーがおにぎりを差し入れてくれ、マーケットに連れて行き、食料品の調達を手伝ってくれる。ここでの研修は1ヶ月続き、はやく慣れなければと思う。本当はボゴタの町の風景を撮って、ブログにのせたかったけど、カメラを道路で取り出すのは賢明でない気がしてやめる。時差の影響でぼやっとするが、2600mの高さにいても、高山病の影響はみられない。今日はオフ。午前中は町の散策でもすることにする。
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